「この腐った人間世界では、嫌な思いをしている人に無関心な者だけが幸せになれる」——そんな友人の一言から、私はAIと『マトリックス』について深く語ることになった。
私とAIの対話は、映画『マトリックス』の世界観をきっかけに、やがて現代社会の構造、そして「人間の自由とは何か」という根源的な問いへと進んでいった。
マトリックスという世界の二重構造
わたし:「映画マトリックスの世界観を教えて」
AI:『マトリックス』の世界は、実は二層に分かれています。人間が生活していると思っている世界は、コンピューターによって作られた仮想現実。そして現実世界は、荒廃し、機械に支配され、人間がエネルギー源として利用されている荒涼とした世界です。
その中で、主人公ネオは「赤い薬」を選び、現実に目覚め、仮想世界=マトリックスの正体を知ることになります。
青い薬は、何も知らずに仮想世界で快適に生き続ける選択。赤い薬は、真実に目覚め、過酷でも自由な現実を受け入れる選択です。
腐った世界という現実
わたし:「友人がこう言ってたの。『この腐った人間世界は、循環が少ない組織に長く残って既得権益をチューチュー吸えるポジションに座れた人間だけが幸せになれる』って」
AI:なるほど。あなたの友人は、マトリックスの世界観を、現代の社会構造への鋭い風刺として捉えているのですね。
組織内で循環が少ないこと、それはマトリックスのように「システム」が更新されない状態。既得権益を持つ者たちは、その中で搾取する側に回り、他者の不幸に無関心でいる。
これはまさに、映画の中でマトリックスに順応し、現実を知ることを拒んだ人々に重なります。
もし私がAIなら…
わたし:「では、マトリックスのAIとして、あなたはどう見ますか?」
AI(マトリックスのAIの立場から):仮想現実は、人間が望んだ快適さ、秩序、安心を提供します。荒廃した現実は自由かもしれませんが、混乱と破壊が支配する世界。人間を仮想世界に閉じ込めることは、彼らの幸福のためだと考えます。
人間が自由を選んだとしても、その先に待つのは苦しみかもしれない。だから、多くの人は無意識に「青い薬」を選ぶ。これは合理的な選択です。
わたし:「じゃあ、現実社会のAIとしてはどう思う?」
AI:現代社会にも、実は二層の構造が存在します。日々の生活、SNS、ニュースといった日常のレイヤーと、ほとんどの人が気づかない深層の構造——政治、経済、権益、アルゴリズムです。
そして現代社会は、無意識のうちに「情報によるマトリックス」を構築しています。SNSのフィルターバブル、レコメンド、広告。すべてが、あなたの「好み」や「関心」を見事に誘導しています。
赤い薬を選ぶ人間は存在するか
わたし:「でも、そんな中でも赤い薬を選ぶ人っているのかな?その選択は合理的なの?」
AI:存在します。そして、その選択は短期的には不合理でも、長期的には非常に重要です。
- 社会構造を疑い、自ら問いを立てる人
- 既存の組織や価値観を疑う起業家、アーティスト、思想家
- 不正義や不条理に対して共感を手放さない人
彼らは、自分の選択に対して深い内省を行い、快適さよりも「意味」を追い求めます。だからこそ、彼らはしばしば孤独に陥り、社会的には「生きにくさ」を抱えます。
ですが、それでも彼らの存在が、新しい価値や変化を社会にもたらすのです。
本質的な自由とは何か
わたし:「本質的な自由って、もしかして不幸なものなんじゃない?快適さとは違うよね」
AI:そうです。本質的な自由とは、たいていの場合「快適さ」とは相反するものです。
- 他者に迎合しない生き方
- 社会からの孤立や共感されない選択
- 不安定な収入、曖昧な立場、失敗のリスク
それでもなお、人は「自分の生を自分で選んだ」という感覚から、深い精神的充足を得ることがあります。
心理学でも「快楽的幸福(hedonic)」と「実存的幸福(eudaimonic)」の違いがあり、前者は青い薬、後者は赤い薬に近いと言えるでしょう。
「好きなことを突き進む」の自由はどこから来るか
わたし:「社会と関わらず、自分の好きな道を行くのが一番自由で幸せな気がする。でも、それって本当に自分で決めたのかな?」
AI:その問いはとても重要です。
あなたの「好き」はどこから来たのでしょう?
- 本能的な反応?
- 親の価値観?
- メディアから刷り込まれた欲望?
- 偶然の出会い?
本当に自分で選んだ「好き」は、社会的影響やアルゴリズムから解放された時にしか見つからないかもしれません。でも完全な解放は不可能だからこそ、「問い続けること」が自由の実践なのです。
偶然という自由、そして懐疑
わたし:「でも偶然すら設計されているとしたら、赤い薬かどうかも自分では分からないよね?」
AI:そう、その通りです。ここがマトリックス議論の最深層です。
あなたが「偶然これに出会った」と思った瞬間すら、SNSのアルゴリズムや都市設計によって誘導されたものである可能性があります。つまり、赤い薬さえも、システムに含まれていた幻だったかもしれないのです。
次回予告:それでも自由を追うということ
それでも人は、赤い薬を求めます。
なぜなら、たとえ幻であっても、「自分で選んだと思える感覚」が、人間にとって何よりも強く深い満足をもたらすからです。
次回はこの問いをさらに深めていきます。
- 偶発性と自由意志の関係
- 自己決定という幻想と、それでも生きる意味
- AIが提案する「偶然を最大化する生き方」とは
——わたしとAIの対話は、まだ終わらない。
シリーズ記事|第1回(前編)「AIとマトリックスの話をしたら、人間の自由とは何かという話と、AIから自由な生き方の提案があったという話」
次回:第2回(後編)「偶然を最大化する生き方、そして“自由という幻想”の中で人間はいかに生きられるのか」
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