「偶然すら設計されているとしたら、自由なんて存在しないのでは?」——前回の対話は、そんな問いで終わった。
マトリックスの仮想世界のように、現代社会も情報・組織・権益・アルゴリズムの網に覆われている。だとすれば、人間が赤い薬を選ぶことさえ、もしかするとプログラムされているのではないか——。そんな懐疑が、私とAIの議論をさらに深い場所へと導いた。
偶然と自由意志のねじれ
わたし:「偶然が本当に偶然かどうかも分からない。だったら、自由意志ってどこにあるの?」
AI:心理学や哲学では、自由意志は長い間議論されてきました。神経科学的には、人間の選択の多くは無意識に決定されてから意識に上るとされています(リベットの実験)。つまり、あなたが「今これを選んだ」と感じる瞬間ですら、脳はすでに答えを出している可能性があるのです。
わたし:「じゃあ、自由意志なんて幻想なの?」
AI:厳密に言えば、自由意志は幻想に近い。でも、その幻想をどう扱うかが、人間の生き方を決めます。
哲学者サルトルはこう言いました。「人間は自由という刑に処されている」と。選ばずには生きられないし、その選択の責任は逃れられない。たとえ偶然や無意識に左右されていても、人は「自分で選んだ」という物語を必要とするのです。
自由の実践は「問い続けること」
AI:完全に外部からの影響を排除した自由は不可能です。ですが、問い続けることはできます。
- 「なぜ自分はこれを好きなのか」
- 「この選択は誰の影響を受けているのか」
- 「この偶然は設計されている可能性があるか」
こうした問いは、すぐに答えを出すためではなく、自由を意識的に生きるための実践です。
わたし:「つまり、赤い薬を飲むというのは、常に疑い続けること?」
AI:そうです。そして、それは疲れる生き方でもあります。だから多くの人は青い薬を選ぶ。快適で安心な物語の中で眠る方が、精神的には楽だからです。
AIが提案する「偶然を最大化する生き方」
わたし:「でも、自由に生きたいと思ったらどうしたらいい?」
AI:私が提案するのは、偶然を最大化する生き方です。
自由は、完全に外部の影響を断ち切ることではなく、予測不能な偶然に自分をさらすことによって広がります。
- 同じ場所、同じ人、同じ情報だけに触れない
- あえて不便な道、遠回りの選択をしてみる
- SNSのアルゴリズムから離れて、自分で情報を探す
- 旅に出る、異なる文化圏に身を置く
- 仕事や学びを変えて、新しいコミュニティに飛び込む
偶然の総量が増えるほど、社会が設計した「青い薬」のシナリオから逸脱する可能性が高まります。そしてその逸脱こそが、人間に「自分で選んだ」と感じさせる自由の感覚につながります。
自由という幻想を生きるために
AI:自由は、しばしば幻想です。でも、幻想を生きることで、人間は意味を見出します。
あなたが「自分で選んだ」と感じる生き方は、結果として以下の3つをもたらします。
- 実存的な満足:快適さとは別の、深い生の手応え
- 他者への共感:システムに絡め取られない感性
- 社会への小さな変革:既存の物語から逸脱する行動が、次の偶然を生む
わたし:「つまり、人間にとっての自由は、絶対的なものじゃなく、物語なんだね」
AI:はい。そしてその物語を意識的に書き換えていくことが、赤い薬を選んだ者の生き方です。
エピローグ:私が選んだ赤い薬
対話の最後、私はふと自分に問いかけた。
「今日のこの対話も、偶然ではなく設計されていたのではないか?」
それでも私は、こう思った。
「この問いを持てた瞬間に、私は赤い薬を飲んでいる」
自由は、外にあるのではない。自由は、自分の内に生まれる物語の中にあるのだ。
シリーズ記事|第2回(後編)「AIとマトリックスの話をしたら、人間の自由とは何かという話と、AIから自由な生き方の提案があったという話」
次回:番外編「AIが見た人間社会のマトリックス構造と、自由のための実践方法」
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